富山県警強姦冤罪事件「処分者なし」に思う

 2002年に強姦容疑などで逮捕され実刑判決を受けた富山県内の男性が服役後に無実と分かった冤罪問題で富山県警は1月31日に当時の捜査関係者を処分しない方針を明らかにした。

 この事件は捜査当時から足跡が男性と一致しないことを県警は認識していた電話の通話記録から男性のアリバイは成立していた等の事が判明しており、完全な手抜き及び怠慢捜査であったことは明白である。男性は2年以上服役しており、出所後、男性は行方不明になっている。服役中に父親が死亡。任意の事情聴取で2日間は容疑を否認していたが、3日目に容疑を認め、その後は公判中も一貫して無罪を主張しなかったと言う。どちらにしてもこの男性の一生は完全に台無しにされてしまった。

 一方、富山県警は、処分者無しの理由について、「故意または重過失ではない。」と述べているが、無実の一般人を冤罪で2年以上服役させておきながら、これが重過失ではないと言う富山県警の感覚が私は信じられない。本来あるべき証拠主義であれば、この男性が無実であることは簡単に富山県は認識できたはずなのに旧態依然とした自白偏重主義で無実の人間を逮捕した富山県警。これを「重過失ではない」と言い切る富山県警は「全く反省していません。今後も自白偏重主義でどんどん行きます」と言っているのと一緒である。ここで私は“富山県警”と言っているが、日本の警察全体が未だに自白偏重主義なのである。

 ではなぜ男性は容疑を認めたのか。容疑を認めた男性の方が悪いと思われる人もいるかもしれない。日本の警察のやり方については、多くの出版物があるが、例えば、斎藤貴男著「報道されない重大事」ちくま文庫では、この人質司法の警察のやり方を対談で述べている。日本の警察は容疑者を冷静に証拠によって取り扱うのではなく、「おまえ、否認を続けていたらいつまでたっても出られないよ」と言って自白を取ろうとするのである。戦前の特高警察あたりから全く進歩していないのかもしれない。

 また、警察だけでなく、検察も裁判官も弁護士も全てがおかしくなっているのである。今回の件に関係した警察、検察、弁護士は全て反省が必要である。警察は反省しませんと宣言したが、富山県弁護士会は調査委員会を設置して二度とこのような事件を起こさないよう動き始めた。検察と裁判所は反省しないのですか?ここでも腐った公務員どもは、自分の組織を改変する能力も無い無能力振りを発揮している。裏金作りの警察。検察もそうか。検察の言いなりで常識のない裁判官達。本当に怖い世の中になったと思う。何が怖いと言って、罪も無いのにある日突然逮捕されて、刑務所に入れられて、それが間違いと分かっても全く反省もしない公務員ども。国民の公僕であるはずの公務員の怠慢と無反省が発覚しても、それを黙って見ている日本国民

 世の中、完全におかしい。このおかしさに慣れてしまっている日本国民も完全におかしい。

(2007年2月3日 記)

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